2017年05月16日

第178回◇幸福という怪しい概念



老子という古典にこういう言葉があります。災いというものは幸せに依存し、幸せには災いが潜んでいる。

これについてのたとえ話が、淮南子という本にあります。

ある所にお爺さんがいました。ある日、おじいさんの馬が家出をしてしまいました。

村人達はお爺さんを気の毒に思いました。しかし、お爺さんは笑っておりました。

数ヵ月後、その馬が立派な別の馬をパートナーにして帰って来ました。

村人達は「災い転じて福となるだな」と言って祝福しました。

ですが、お爺さんは心配そうな顔をしていました。

後日、お爺さんの息子が、その立派な馬から落馬し、歩けなくなってしまいました。

村人達は励ましました。でも、お爺さんは不思議と平然としていました。

その年、その村が戦争に巻き込まれました。若い衆は徴兵に行く決まりです。

ですが、お爺さんの息子は足が不自由だった為に、徴兵を免れました。

我々はしばしば経験します。幸せだと思っていた事が、後で不幸であると感じたり、不幸だと思っていた事が、後で幸せであると感じたり。

何か出来事が起こった場合、人は、良い事が起きたとか悪い事が起きたとか、幸せであるとか不幸であるとか言いますが、それは実に頼りないものだと思うのです。

何が良い事で何が悪い事かなんて、人知ではわからないんです。

人は幸福を目指して生きていますが、その幸福という概念が怪しい。

夢を持って生きる事を否定しませんが、その夢が叶わなければ不幸であるという思いで自分自身を縛り上げてしまう。

その夢が叶った結果、ヒドイ現実が待っているのかも知れないのに。

もしかしたら、幸福や不幸という言葉が、人生を窮屈にさせているのではないか。いっそ、この言葉を捨ててしまえば自由になれるのではないか。

幸福と不幸という相対分別を超える事を中国の古典である荘子では万物斉同と言い、仏教では無分別智と言います。

東洋にはこういう考え方もありますよという、今日はそういうおすすめでした。ありがとうございました。
posted by ぽよよ犬 at 20:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

第177回◇ゴールデンウィーク特集



私のヘッドマイクと言いますか、PCと言いますか、録音環境が悪化して来ておりまして、音声がクリーンではありません。
余裕のある時に改善を試みますので、ご容赦下さい。
posted by ぽよよ犬 at 03:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

第176回◇過ごしやすい人間関係を作る



西田天香選集〈第1巻〉懺悔の生活 (1967年) -
西田天香選集〈第1巻〉懺悔の生活 (1967年) -
posted by ぽよよ犬 at 21:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする